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11月, 2021の投稿を表示しています

日本人とマスク文化

・ 象気功 まあ、このテーマはコロナが流行してからこれまでときおり書いてるのでループしてるとは思うが、ここのところの日本の感染者激減と世界の感染者爆発の状況をみてると今更ながらマスクの効果を再認識するのである。 御存じの通り、このところ東京都はコロナの感染者が一桁台である。 そんな状況の中で仕事であちこち出かけてみると、感染者激減の現在でも出会う人のほぼ100%がマスクをしてるのである。 屋内室内はもちろんのこと、街を歩いてる人もほぼ100%がマスクをしてるし、自転車の人もほぼ100%がマスクをしてるのである。 ときには車を運転してる人もマスクをしてるのである。 ほぼ感染者がいないという状況の中で、政府の強制なしにこんな状態の国はおそらく日本だけである。 どんなにマスク反対派のバカが騒いでも、まったくこの状況は変わる様子がないのは当然であるが、ほぼ100%が動じないというのは驚くばかりである。 対して、現在感染者が再爆発してるドイツやイギリスのニュースを見てると、ほとんどの人がマスクをしてないのである。 欧米ではマスクを法律で義務化しても、マスクはいやだという人だらけであるが、日本では逆にマスクをはずせと言ってもいやだという人だらけである。 どう考えても、現在の日本の感染者激減と欧米の感染者再爆発の差は、マスク効果が大きな要素なのは明らかである。 日本ではこれまで冬になればインフルエンザ予防でマスクをしてる人が多く、また、冬が終わるころには花粉症対策でマスクをしてる人が非常に多いので、一年の半分はマスクをしていても奇異に感じたり不快感を示す人は誰もいないわけである。 コロナ予防でマスクその他を励行しているおかげで今年もインフルエンザがはやる様子もないので、マスクはざっくりと空気感染系の感染症には非常に効果が大きいということが実証されているわけである。 いずれにしてもインフルエンザ予防でマスクをしてるのも花粉症対策でマスクをしてるのも当たり前だという日本と、「マスクをしてるのは危険な感染症か重病の病人だ」という思い込みの欧米との違いであるとは思うが、 コロナウイルスはどこに住んでるかというと、お口に住んでるのである。 そのお口から出ないようにすることが感染しないさせない効果を生むのは当たり前である。 あたしはもちろんコロナが完全に収束しても、外出時は当分はマスクを外す

瀬戸内寂聴さん死去

 まあ、いつも某週刊朝日連載の横尾先生との書簡のやりとりを拝見しているのであるが、仏教徒として現実的な瀬戸内先生と画家としてスピリチュアルな横尾先生の対比が非常におもしろく、この先はこれを読めないのは実に残念至極である。 てなことを言ってるが、元来が他人の書いたものは斜め読みであるので、まして週刊誌は飛ばし読みであるので、だいたいの趣旨をご理解申し上げているだけで、深いところはあのねのねである。 あたしの日本文学の読書歴は、十代の一時期小説家になろうと決心して図書館の近代文学全集全88巻を読んだ限りであるが、内容はおろか誰を読んだのかも覚えていない始末で、もちろん瀬戸内先生のお書きになったものも読んだとは思うが、まったく何がなにやらである。 その後はすべて他人の書いたものは斜め読み飛ばし読みで、さらに、ネットが普及してからは、アマゾンでいつでも読めるということでそれなりにあった蔵書をすべて捨ててしまったので、あたしの家には書籍はおろか辞書もないのである。 スマホのおかげもあって、それでまったく困らないという現代生活はまことに素敵な時代であるなあと心からあれこれする日々である。 まあ、どんなエライ先生のものも他人の書いたものであるし、まして印刷物なんかに何も思い入れはないのでどんどん困ったときの某ブックオフに持って行ったのである。 話は変わるが、電子書籍は本当にありがたく、読みたいときにすぐ読めるという、まことにこんな時代に生まれたことを感謝感激雨あられの心境である。 どんなものどんどん電子書籍化してほしいと思うが、そうなると本屋さんは軒並み潰れて、職にあぶれる人も出るわけであるので、なかなかそうも行かない事情もあろうが、方向性はそちらの方に怒涛の進撃であろうことは間違いないわけである。 紙で読まなければ身にならないなんてご意見もあるが、身になろうがなるまいが、便利な方向にこの世が進むのはこれまでの歴史でそれこれであるので、早晩、紙による書籍は特殊な場合をのぞいて消滅する可能性の方がそれこれである。 ううう、くだらん、あまりのつまらなさに死にそうだ。 同じ作家としてこの体たらくの文章に非常に恥じ入る次第である。 誰が作家だ。 追悼のために書いてるものがこれでは、瀬戸内先生に申し訳ない限りである。 瀬戸内先生は99歳ということであるので、いわば天寿全うで、気功法による不

マララちゃんの結婚

マララ・ユスフザイ(24歳)さんは、ご存じの通りパキスタンにおいてイスラム主義勢力タリバンによる女子生徒の通学阻止の試みに反対する活動で世界的に知られるようになり、15歳の時にその行動に反発したタリバンの構成員に頭部を撃たれて、英イングランドに空路搬送されて治療を受けて一命を取り止め、その後2014年に史上最年少の17歳でノーベル平和賞を受賞し、昨年には英オックスフォード大学を卒業して哲学、政治学、経済学の学位を取得したわけである。 そのマララちゃんがパキスタン・ラホール出身で、パキスタン・クリケット委員会の運営管理者を務めるアッセル・マリクさんとご結婚の運びとなったという実にめでたいニュースで、熱烈なマララファンの一人のあたしとしては、矢も楯もたまらず何か言わずにおれないわけである。 興奮して文章が支離滅裂であるが、それだけ象師匠としては心からご慶福申し上げているということである。 マララちゃんと呼ぶのはもう年齢的に失礼であるので、以降はマララさんとお呼びするのである。 マララさまでもいいのであるが、人によってはあれこれあらぬ誤解を生むおそれもないとは言えないので、まあ、マララさんである。 まあ、なんである、この人の写真を見るたびに涙があふれて思わずウソ泣きをしてしまうのはなんでだろうといつも思うのである。 人にはそれぞれこの世に生まれた役割があって、たとえば神という名の誰だかわからんものによるプログラムで人類最低の霊格に生まれたあたしは、自分のことしか考えずに、他人のために何かするなどもってのほかのまっぴらごめんで、自分さえよければだいたいよかろうという人生を心置きなく生きてその自堕落な生きざまを楽しむわけである。 マララさんは世のため人ために命を投げうって、たとえ銃撃されてもめげずに、神にプログラムされた気高い使命をまっとうして、その生きざまを通してあたしみたいな最低のものに気づきを与えんとする生き様を楽しむわけである。 なにしろ気づきである。 けっ、なーにが気づきだ、笑わせんじゃねーよ、という心の奥底の禍々しいものからの囁きも打ち消し、涙があふれて思わずその場に土下座して、「あたしが悪うございました、もう、嫌いな奴の氣道を操作したり邪気を送ったりしてあれこれするのは金輪際いたしません」なんてことを言わせるマララさんのエネルギーの威力の破壊力は、そうとうにろく