まあ、いつも某週刊朝日連載の横尾先生との書簡のやりとりを拝見しているのであるが、仏教徒として現実的な瀬戸内先生と画家としてスピリチュアルな横尾先生の対比が非常におもしろく、この先はこれを読めないのは実に残念至極である。
てなことを言ってるが、元来が他人の書いたものは斜め読みであるので、まして週刊誌は飛ばし読みであるので、だいたいの趣旨をご理解申し上げているだけで、深いところはあのねのねである。
あたしの日本文学の読書歴は、十代の一時期小説家になろうと決心して図書館の近代文学全集全88巻を読んだ限りであるが、内容はおろか誰を読んだのかも覚えていない始末で、もちろん瀬戸内先生のお書きになったものも読んだとは思うが、まったく何がなにやらである。
その後はすべて他人の書いたものは斜め読み飛ばし読みで、さらに、ネットが普及してからは、アマゾンでいつでも読めるということでそれなりにあった蔵書をすべて捨ててしまったので、あたしの家には書籍はおろか辞書もないのである。
スマホのおかげもあって、それでまったく困らないという現代生活はまことに素敵な時代であるなあと心からあれこれする日々である。
まあ、どんなエライ先生のものも他人の書いたものであるし、まして印刷物なんかに何も思い入れはないのでどんどん困ったときの某ブックオフに持って行ったのである。
話は変わるが、電子書籍は本当にありがたく、読みたいときにすぐ読めるという、まことにこんな時代に生まれたことを感謝感激雨あられの心境である。
どんなものどんどん電子書籍化してほしいと思うが、そうなると本屋さんは軒並み潰れて、職にあぶれる人も出るわけであるので、なかなかそうも行かない事情もあろうが、方向性はそちらの方に怒涛の進撃であろうことは間違いないわけである。
紙で読まなければ身にならないなんてご意見もあるが、身になろうがなるまいが、便利な方向にこの世が進むのはこれまでの歴史でそれこれであるので、早晩、紙による書籍は特殊な場合をのぞいて消滅する可能性の方がそれこれである。
ううう、くだらん、あまりのつまらなさに死にそうだ。
同じ作家としてこの体たらくの文章に非常に恥じ入る次第である。
誰が作家だ。
追悼のために書いてるものがこれでは、瀬戸内先生に申し訳ない限りである。
瀬戸内先生は99歳ということであるので、いわば天寿全うで、気功法による不老長寿を人生の糧とするあたしとしてはあやかりたいあやかりたいとなむなしてご逝去を心より悼む次第である。
・象気功
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