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石原慎太郎氏の死去について

 このブログの文字が小さすぎて読めないという読者からの御意見があったので、デザインを変更してみたのであるが、どうだろうか。

ブロガーの古いデザインはフォントの行間などが狭くて読みにくいので、新規のデザインのものであれこれやってみてるのであるが、デザインテーマに限りがあるので、なかなか気に入ったようにはいかないので、この辺でご勘弁いただきたい。

フォントサイズは22ピクセルということでヤフーの記事よりかなり大きめにしたのであるが、これ以上大きくするとモバイル表示になったときにとんでもない大きさになるので、まあ、これぐらいかね。

いや、わからんけど。

あとはご自分のPCやスマホのフォントサイズ等を調整していただきたい。

ということで石原慎太郎さんがお亡くなりになったのである。

あたしみたいな作家からすると、石原慎太郎と言えば「太陽の季節」他の小説家というイメージであるが、昨今は東京都知事を始めとした政治家という顔が一般的であると勝手に思うわけである。

誰が作家だ。

89歳ということであるので、まあ、一般的には大往生であるが、すい臓がんがなければ100歳まで生きられたであろうことは想像に難くないのである。

石原氏の、人も無げな言動に不快感を示す人もおられるが、いわゆる肚の坐った大丹田の人であるので、小説家としてよりも政治家に向いていたのは明らかであると、これも霊能気功師として勝手にご推察申しあげているのである。

石原氏の政治家としての業績と言えば、あたしらぜんそく患者からすると、強力な独断専行の威力でディーゼルの排気ガス規制を行ったことである。

その後は東京の空が見違えるほどきれいになって、明らかに空気はきれいになったのは、当たり前のことを当たり前にするという石原氏の性格が表れた偉業であるとこれも勝手に崇敬申し上げているのである。

まあ、あたしは死と隣り合わせの重度のぜんそくが神のお告げで完全に治ってしまったわけであるが、ぜんそくで苦しむ患者の皆さんにとっては、それこそ石原氏は神の行いをなされたわけである。

この一事であたしは石原氏を当代随一の政治家であると、これも勝手に思いこんでいるわけである。

石原氏が必ずやいずれは総理になって、日本全土を当たり前の姿に建て直す日を念じていたのであるが、しかし、総理になるにはあたしら作家は今一つ常識を外れた側面があるので、なかなか受け入れない人や敵も多く、メディアでぼろくそに言われるときも多々あったわけである。

だから誰が作家だ。

お亡くなりになる直前まで執筆していたということであるが、あたしらハイパーグラフィアの業であるなあと、つくづく自分の作家としての生きざまを石原氏の死に際になぞらえて、ああ、かくありたいと感動の涙でうるうるとウソ泣きしてしてしまったのである。

追悼文として、シャレにならないことは控えようとあれだけ決心したのにふざけ始めてしまうのは、やはり作家よりもお笑い芸人の血が騒いでしまうからである。

どんなときも世界に笑いを振りまくのが象形流お笑い道宗家としてのあたしの生業である。

誰がお笑い芸人だ。

ハイハイ。

まあ、誰でも必ず一度は死ぬので、そう目くじらをたてることではないと思うが、石原家あるいは関係者の方々にとっては、そうも言ってられないので、この辺で終わりである。

キレがなくて調子が悪くね?

いや、ちょっと忙しいから。

象気功

コメント

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