スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ワクチン3回目接種の副反応で熱が出た

  今日の3時45分にワクチンの3回目を接種したが、それから約3時間半でどうも寒気がすると思って体温を計ったら37.0度である。 予約してあった某医院にワクチンを打ちに行ったら、入口ににーちゃんとねーちゃんがスマホみながらしゃがんでるのである。 「おいおい、ここはコンビニの駐車場か?」と思ったが、そうではなくどうも、このにーちゃんとねーちゃんたちはどうもPCR検査を受けにきてるらしいのである。 そのあと来たおっさんも「PCR検査にきました」てなことを言ってたので、なーるほどそういうことかと納得したわけである。 まあ、そんなこんなで待合室はワクチン接種のあたしらじじいとばばあと通常の患者で密の状態で、空気清浄機が端に置いてあるだけで特に換気もなく、西日があたって熱いし、じじいとばばあがわいわいしゃべってるし、そうこうしてるうちに、名前を呼ばれたので診察室に入ったのである。 そしたら男性医師が服をまくって胸を出せというので、いや~んえっちと言おうと思ったが怒られそうなのでおとなしく胸を出して聴診器を当てられたのである。 そしたらマスクを取れというので取ったら例の金属のへらで舌を押されてのどを調べられたのである。 さらにそしたら、看護婦さんが服を脱いで左肩を出せというので、いや~んしけべと言おうと思ったが、笑われそうなので黙って肩を出したのである。 その肩に医師がぶつーっと注射針を刺したので、いてててなにすんだこのやろう、あたしを誰だと思ってるんだ、天下の大霊能者象師匠様だぞ、邪気を送って病院休業にしたろかこら、と言おうと思ったが、もちろんあたしもいい大人であるので、我慢してたらちゅーっとワクチンを注入されてさらに痛かったのである。 てなことで帰ってきたのである。 ううう、なんかちょーしが悪い。 さらに熱が上がってるのかもしれん。 明日はどうなるのか実に楽しみである。 なんでも楽しみかよ。 だめだ、なんかほんとに具合が悪い、寝てしまおう。 いえい。 ・ 象気功

北京オリンピック開会式を見て日本の先行きを考える

 まあ、なんである、オミクロンが世界的に大爆発にも関わらず、選手も関係者もそれほど感染していないらしく、人権問題も含めて政治的にあれこれ問題山積みの北京オリンピックは無事開幕したわけである。 まあ、コロナ対策についてはもともとが某ちゅーごく製品であるので、生産者としては対策の要点がわかっているであろうから、たいした問題ではないと思うわけである。 しかし、ウイグル弾圧を発端とした人権問題は各国の反発も必至で、開催はどうなることやらと思ったが、まあ、中国依存で中国寄りの国の数が反対派を上回っているということもあって、これも難なくクリアしたわけである。 某米国で一日に百万人を超える感染者を出しているのに、人口14億人以上の某ちゅーごくでゼロコロナ政策であるから、そら作った本人はコロナの性質は百も承知で、予防対策は万全であるのは誰が考えても当たり前である。 たとえ、その性質を某ちゅーごくが自由主義国に公開しても、対策に対してなにしろ自由であるのであーだこーだ言うことを聞かないオバカの皆さんがデモを始めたりするので、なかなか世界的にゼロコロナというわけにはいかないのが現状である。 まあ、簡単に言えば人と会わなければいいわけであるが、この世に生きてる限りはそうもいかないので、コロナが限りなく弱毒化して本当の意味でもただの風邪になる日を待つしかないわけである。 しかし、それまで全員が引きこもっていたら、社会が成り立たなくなってしまうので、日本としては、まあ、なんとか理由をつけて緊急事態宣言を回避して、死亡率の高いあたしら年寄りを減らして国家的内臓脂肪の減量化に取り組むということで、妥協点をみつけたいわけである。 誰が内臓脂肪だ。 無けりゃ困るが多すぎるとさらに困るのが内臓脂肪である。 日本はこの内臓脂肪が爆裂的に増加して、いずれは内臓脂肪が50%を超える日もこないとはいえない事態である。 何しろ世界有数の優れた医療と、世界に冠たる国民健康保険のおかげで、あたしら年寄りはなーかなか死なないのである。 80歳90歳はざらで、このままいけば100歳ご長寿もどんどん増えて、死なない社会が形成されて、それを養う財源が枯渇するのは目に見えているのである。 これをわからないように減量するのは国家繁栄の礎を築く大綱として天下国家を考える政治家としては実に筋の通ったれんこんである。 何言っ...

オミクロンはマスクしても50㎝以内だと感染

 オミクロンはマスクしてても50㎝以内の会話だと感染するリスクが高いそうだ。 「そうだ」というのは、これは某NHKのニュースでスーパーコンピューター富岳のシミュレーションということでやってたニュースである。 感染者と15分会話した場合、感染者がマスクをしている場合は1メートル以上の距離ではほぼ0%で、50㎝以内の距離ではおよそ14%だそうである。 ちなみに感染者がマスクをしていない場合は1メートルの距離でおよそ60%、50センチ以内の距離ではほぼ100%の感染リスクだそうである。 それであたしはオミクロンがピークアウトするまでマスク手洗い引きこもりを決意決心して、じっと我慢の子を演じてるわけであるが、それでも食いもんの買い出し等でやむおえず外出するときがあるのである。 すると某ドコモのにーちゃんがティッシュを配りながらものすごく近くに寄ってきて「ちなみにケイタイはどこをお使いですか?」とささやくのである。 感染力が強力なオミクロンでにっちもさっちもいかないときに顔の前に寄ってきやがってと思うが、おにーちゃんもこんな事態であるので、大声を出すなと言われてるだろうから、直近で小声でささやくわけである。 ムカついたので得意のヘッドバッドをかましてやろうかと思うが、けーさつを呼ばれて取り調べ留置となるとさらにオミクロン感染のリスクが高まるので、じっと我慢してティッシュを受け取りながら「ドコモ」とささやくと「ありがとうございます」と離れて行ったのである。 ものすごい迷惑であるが、おにーちゃんも仕事であるし、おまんま食わなきゃならんのでいたしたかたないのである。 それでスーパーのセルフレジでペイペイしようと思ってスマホを出すと、係のおばさん店員が走り寄ってきて顔のそばに顔をもってきて「画面のバーコードというところタッチして下さい」とささやくのである。 「あたしを誰だと思ってるんだ、天下の大霊能気功師象師匠様だぞ、セルフレジの使い方ぐらい知っとるわい」と怒ろうと思ったが、まあ、セルフレジで年寄りがスマホを出したので、当然親切心から使い方を説明に寄ってきたわけだろうから、親切心に対して怒るのは筋違いである。 帰りにセルフのガソリンスタンドでノズルを持って入れてると、店員のおっさんが寄ってきて、あたしの顔の前に顔をもってきて「お得なサービス券があります」とささやくのである。 ...

石原慎太郎氏の死去について

 このブログの文字が小さすぎて読めないという読者からの御意見があったので、デザインを変更してみたのであるが、どうだろうか。 ブロガーの古いデザインはフォントの行間などが狭くて読みにくいので、新規のデザインのものであれこれやってみてるのであるが、デザインテーマに限りがあるので、なかなか気に入ったようにはいかないので、この辺でご勘弁いただきたい。 フォントサイズは22ピクセルということでヤフーの記事よりかなり大きめにしたのであるが、これ以上大きくするとモバイル表示になったときにとんでもない大きさになるので、まあ、これぐらいかね。 いや、わからんけど。 あとはご自分のPCやスマホのフォントサイズ等を調整していただきたい。 ということで石原慎太郎さんがお亡くなりになったのである。 あたしみたいな作家からすると、石原慎太郎と言えば「太陽の季節」他の小説家というイメージであるが、昨今は東京都知事を始めとした政治家という顔が一般的であると勝手に思うわけである。 誰が作家だ。 89歳ということであるので、まあ、一般的には大往生であるが、すい臓がんがなければ100歳まで生きられたであろうことは想像に難くないのである。 石原氏の、人も無げな言動に不快感を示す人もおられるが、いわゆる肚の坐った大丹田の人であるので、小説家としてよりも政治家に向いていたのは明らかであると、これも霊能気功師として勝手にご推察申しあげているのである。 石原氏の政治家としての業績と言えば、あたしらぜんそく患者からすると、強力な独断専行の威力でディーゼルの排気ガス規制を行ったことである。 その後は東京の空が見違えるほどきれいになって、明らかに空気はきれいになったのは、当たり前のことを当たり前にするという石原氏の性格が表れた偉業であるとこれも勝手に崇敬申し上げているのである。 まあ、あたしは死と隣り合わせの重度のぜんそくが神のお告げで完全に治ってしまったわけであるが、ぜんそくで苦しむ患者の皆さんにとっては、それこそ石原氏は神の行いをなされたわけである。 この一事であたしは石原氏を当代随一の政治家であると、これも勝手に思いこんでいるわけである。 石原氏が必ずやいずれは総理になって、日本全土を当たり前の姿に建て直す日を念じていたのであるが、しかし、総理になるにはあたしら作家は今一つ常識を外れた側面があるので、なか...

オミクロンに感染しない方法

 もうすでに全国で5万人が感染してるわけであるが、これは行政が把握してる人数であるので、実際にはこの数倍数十倍の人数であるのは当然だろうね。 東京ではおおむね1万人だから、10万人以上は感染してるとみて間違いないだろう。 あたしがいつも行く近所のスーパーでもレジのおねーさんが3人感染したらしく、「申し訳ありません」と張り紙がしてあったので、つまり、東京の思いっきり辺地に住むあたしの周りにもすでにオミクロンが広がってるということである。 アメリカでは一日に百万人以上が感染したわけであるので、日本もいずれは一日に数十万人が感染する可能性があるのは想像に難くないのである。 これまでの経過をみてると、オミクロンの感染力はデルタの比ではなかろうから、マスクをしてようがしてまいが、感染者と接触すれば感染は逃れられないと思ったほうがいいだろう。 人流だ人数制限だでもめてるが、そんな問題じゃなくて、人と会えば感染すると考えるのが妥当だろう。 まあ、毒性がそうとう弱いので、若者や健康な人は発症しても死ぬ可能性は低いが、あたしら年寄りはヤバいかもしれないのはこれまでの変異種と同じだろう。 あたしは2月9日に3回目のワクチン接種をする予定であるが、予想通りそのあたりがオミクロンの感染ピークにあたりそうである。 東京で一日数万人が感染してる状況で病院にワクチンを打ちに行けば、そこの感染者がいないという保証はまったくないので、感染しに行くみたいな感じもあるな。 しかし、飲み薬のモルヌピラビルが十分に供給されていない現状では、やはりワクチン接種が最善であるのは当たり前である。 オミクロンに感染しないことはどうも不可能であると考えたほうが正解だろうから、ワクチンを打って軽症で済むようにするしかなかろう。 はたして今日は新規感染者が何人でるのか、ある意味戦々恐々であるので、とにもかくにもあたしゃあらゆる会合、寄り合い、打合せ、話し合い等々を断って個人的ロックダウンでしばらく引きこもるのである。 何が何でもオミクロンにかかりたくないので、あらゆる手立てをもってピークをやりすごし、収束するのを待つのである。 まあ、PCR検査をしたこともないので、すでに感染してるかもしれないということを考えると、無駄なあれこれかもしれんが、人とのかかわりを限界まで断つのである。 しかし、変異がオミクロンで終わる...

日本人とマスク文化

・ 象気功 まあ、このテーマはコロナが流行してからこれまでときおり書いてるのでループしてるとは思うが、ここのところの日本の感染者激減と世界の感染者爆発の状況をみてると今更ながらマスクの効果を再認識するのである。 御存じの通り、このところ東京都はコロナの感染者が一桁台である。 そんな状況の中で仕事であちこち出かけてみると、感染者激減の現在でも出会う人のほぼ100%がマスクをしてるのである。 屋内室内はもちろんのこと、街を歩いてる人もほぼ100%がマスクをしてるし、自転車の人もほぼ100%がマスクをしてるのである。 ときには車を運転してる人もマスクをしてるのである。 ほぼ感染者がいないという状況の中で、政府の強制なしにこんな状態の国はおそらく日本だけである。 どんなにマスク反対派のバカが騒いでも、まったくこの状況は変わる様子がないのは当然であるが、ほぼ100%が動じないというのは驚くばかりである。 対して、現在感染者が再爆発してるドイツやイギリスのニュースを見てると、ほとんどの人がマスクをしてないのである。 欧米ではマスクを法律で義務化しても、マスクはいやだという人だらけであるが、日本では逆にマスクをはずせと言ってもいやだという人だらけである。 どう考えても、現在の日本の感染者激減と欧米の感染者再爆発の差は、マスク効果が大きな要素なのは明らかである。 日本ではこれまで冬になればインフルエンザ予防でマスクをしてる人が多く、また、冬が終わるころには花粉症対策でマスクをしてる人が非常に多いので、一年の半分はマスクをしていても奇異に感じたり不快感を示す人は誰もいないわけである。 コロナ予防でマスクその他を励行しているおかげで今年もインフルエンザがはやる様子もないので、マスクはざっくりと空気感染系の感染症には非常に効果が大きいということが実証されているわけである。 いずれにしてもインフルエンザ予防でマスクをしてるのも花粉症対策でマスクをしてるのも当たり前だという日本と、「マスクをしてるのは危険な感染症か重病の病人だ」という思い込みの欧米との違いであるとは思うが、 コロナウイルスはどこに住んでるかというと、お口に住んでるのである。 そのお口から出ないようにすることが感染しないさせない効果を生むのは当たり前である。 あたしはもちろんコロナが完全に収束しても、外出時は当分はマスクを外す...

瀬戸内寂聴さん死去

 まあ、いつも某週刊朝日連載の横尾先生との書簡のやりとりを拝見しているのであるが、仏教徒として現実的な瀬戸内先生と画家としてスピリチュアルな横尾先生の対比が非常におもしろく、この先はこれを読めないのは実に残念至極である。 てなことを言ってるが、元来が他人の書いたものは斜め読みであるので、まして週刊誌は飛ばし読みであるので、だいたいの趣旨をご理解申し上げているだけで、深いところはあのねのねである。 あたしの日本文学の読書歴は、十代の一時期小説家になろうと決心して図書館の近代文学全集全88巻を読んだ限りであるが、内容はおろか誰を読んだのかも覚えていない始末で、もちろん瀬戸内先生のお書きになったものも読んだとは思うが、まったく何がなにやらである。 その後はすべて他人の書いたものは斜め読み飛ばし読みで、さらに、ネットが普及してからは、アマゾンでいつでも読めるということでそれなりにあった蔵書をすべて捨ててしまったので、あたしの家には書籍はおろか辞書もないのである。 スマホのおかげもあって、それでまったく困らないという現代生活はまことに素敵な時代であるなあと心からあれこれする日々である。 まあ、どんなエライ先生のものも他人の書いたものであるし、まして印刷物なんかに何も思い入れはないのでどんどん困ったときの某ブックオフに持って行ったのである。 話は変わるが、電子書籍は本当にありがたく、読みたいときにすぐ読めるという、まことにこんな時代に生まれたことを感謝感激雨あられの心境である。 どんなものどんどん電子書籍化してほしいと思うが、そうなると本屋さんは軒並み潰れて、職にあぶれる人も出るわけであるので、なかなかそうも行かない事情もあろうが、方向性はそちらの方に怒涛の進撃であろうことは間違いないわけである。 紙で読まなければ身にならないなんてご意見もあるが、身になろうがなるまいが、便利な方向にこの世が進むのはこれまでの歴史でそれこれであるので、早晩、紙による書籍は特殊な場合をのぞいて消滅する可能性の方がそれこれである。 ううう、くだらん、あまりのつまらなさに死にそうだ。 同じ作家としてこの体たらくの文章に非常に恥じ入る次第である。 誰が作家だ。 追悼のために書いてるものがこれでは、瀬戸内先生に申し訳ない限りである。 瀬戸内先生は99歳ということであるので、いわば天寿全うで、気功法...